伝えることの難しさ・・・

今日は『毘沙門様千年のまちづくりシンポジウム』が毘沙門堂別当普光寺で開かれました。「千年」大きなロマンあるタイトルです。

午前中は第1部として、浦佐城コース、西山三十三番観音巡りコースに別れ希望者のよる西山散策、午後からの2部として講演会、3部として交流会と懇親会。私も午前中から参加し、キレイに整備された西山三十三番観音様をめぐってきました。
午前中は雨も降られずなんとか天気も持ちました。

午後の講演会からは約100名の参加者の中、地域各団体の今までの活動報告や、2年間にわたるワークショップからの課題と展望が語られました。

大変興味深く、勉強になる講演会でした。

欲を言えば、その講師からの展望を受け、地域にたくさんある団体を、この先誰がどのようにコーディネートをしていくのか・・・そこまでのつっこんだ議論はありませんでした。個々の活動を全体としてまとめていく組織があれば、きっと浦佐地域は良い方向に進んでいくと感じます。

しかし、物事は順序があると思いますので、今後そのような流れが生まれてくることを願います。

そんな充実感を得ながらの懇親会の席で、親身にしている方から、「お寺で葬儀やご祈祷の際に何で数え年が使われているのか?先日、他地域の葬儀の際にお坊さんから説明されて始めて納得がいった。」と聞きました。

私たち、お坊さんが当たり前だと思っていることでも、なかなか上手く伝わっていないんだなぁ~・・・と反省しきりでした。特に親身にしている方からの言葉だったので、自身の力不足を痛感しました。

仏教では、母親のお腹の中に命が宿った時から年齢を数えます。ですから、生まれた時には大体10ヶ月を過ぎていますので、1歳と数えます。0歳ではないのです。そのままいけば、世間一般で言われる満年齢に1歳を加えることが当たり前なのです。

私たちは当然だと思っていることが一般の方にはそうでないことがたくさんある。どの業界でもあることかと思いますが、とにかく勉強させられた、気がつかされた1日でした。感謝!!!

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