人は死んだらどうなるのか???
今日は御詠歌のお稽古日でした。
とても蒸し暑く、終わるころには汗びっしょり・・・、魚沼盆地は他地域より湿度の多いところですが、それがまた美味しいお米や野菜を育てます。
さて、話は変わり・・・
「人は死んだらどうなるかを、仏教はどのように説いているのか?」先日の自殺予防会議であるお医者さんに問われました。
お釈迦様は出家したお弟子さんのひとりから死後の世界のことを聞かれた際、「今、あなたは毒矢が刺さっているのに、それを抜かずに毒の成分のことを聞いています。先ずその矢を抜かなければ死んでしまうのに。」と返答しました。
つまり、結論は「考えてはいけない」ということだと思います。
しかし、お釈迦様はある在家(出家していない一般の方)から、死後どうなるかを聞かれた際には別の答え方をしました。「人は死ぬと7日ごとに、生前の行いについて裁きを受けます。そして7週目の49日を迎えると審判が下り、六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天界)のいずれかに生まれ変わります。」と説きました。
インドでは仏教の誕生前にはヒンズー教が地盤にありました。そこでは輪廻転生が説かれ、少なからず仏教もその影響を受けて誕生しました。仏教が輪廻転生を説くのは上記のことが元になっています。
今日の日本仏教では、33回忌まで年忌法要を営みますが(50回忌、100回忌などもある地域もあります)、これは中国からの儒教や、日本古来の神道との融合の結果です。
ですから、お釈迦様の教えは「人の死後の世界は考えてはいけない」もしくは「とらわれてはいけない」ということだと思います。
しかし、人間そうはいきません。
愛する人を失った悲しみは想像を絶します。相手の気持ちを考えたときに「輪廻転生」の教えがあるのも納得できます。それが「苦」を除くことになるからです。
出家したものには「とらわれるな」、在家には「大丈夫、いつか生まれ変わりまたどこかで出会える」と説いたわけですよね。矛盾しているようですが、私には納得できます。
また輪廻転生を説かなければ、生前何をしても良いという世界ができてしまいます。悪いことをすれば悪い世界に落ちてしまう。良いことをすれば良い世界に生まれ変わることができる。この教えはとても大切なことだと思います。
ちょっと長くなってしまいました。
先日の質問にじっくりと答えることができなかったので、つい真面目に書いてしまいました。
仏教では以上のように「死」や「死後」の世界を説いています。少しでも参考になれば幸いです。