祈るということ・・・

お盆を迎え、東日本大震災の被災地でのお盆の様子がマスコミにピックアップされています。

灯籠を流したり、花火を打ち上げたり、山車を出すか否か?・・・など、様々な討論がなされています。私が個人的に常々感じていること・・・すべては「祈る」ことから始まります。

犠牲者の冥福を祈ることは人間なら当たり前に起きる感情です。そして、お墓などを流された方々がどこにお参りしてよいのやら???と感じる思いもよく解ります。

人間は弱い生き物です。「お墓はいらない」「葬式もいらない」こんな言葉を発することができる人間は相当に強い人にしかできません。普通の人にはやはり必要なものだと私は思います。

お盆には灯明を見立ててほおずきを飾ります。

ご先祖様が速く帰って来られるようにキュウリで馬にたとえ、帰るときはゆっくりと帰れるようにナスを牛にたとえます。
なんと風情、風流心のある伝統行事かと感じます。何でも細分化された現代にこそ大切な風習かと思います。

愛する人を失った人こそ、親身に感じていることでしょう。これは「その身にあった人」でしか解らない感情だと思います。 

ここから学び、そして生ききることが何より先祖への供養、報いることになると信じます。

こんな時だからか、葬儀、戒名についてこんなシンポが開かれていました。

私の意見としては、日本仏教は中国からの陰陽思想を色濃く受けています。この世があればあの世がある。男と女、善と悪、昼と夜、この世界はひとつの「対」を持ってバランスがとれている。そうすれば、この世の名前があれば、あの世の名前があるのが自然です。それでバランスがとれることになります。ですから戒名とは「あの世の名前」「仏門に入った証の名前」・・・やはり必要になるでしょう。

いろんな意見がある事はいいことです。
ただ大切な事は「祈り」からすべては始まります。これからの日本国がどうあるべきか?お盆を境に気持ちが新たになります。

千手院のお盆参り(棚経といいます)は、弟が手伝ってくれるおかげで相当楽になっています。そうでなければ今頃パソコンなど開いていられません。ご縁に感謝、感謝です!!!

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