四国遍路のち蛍。

お久しぶりでございます。

3年計画の2回目にあたる四国八十八カ所巡礼を無事終えて、5日の夜9時ころ浦佐に帰って参りました。四国での様子を簡単に綴ります。

6月1日、34番札所の高知県、種間寺さまからお参りを始めました。こちらの先代住職は千手院の亡き老僧、賢能と本山の長谷寺時代を過ごしていたことがあるそうで、前回お参りした際にはまだご存命で、一緒に写真を撮らせてもらったことをよく覚えています。

こちらは36番札所の青龍寺さま。波切不動明王がご本尊になります。
弘法大師空海が長安(現在の西安)との渡航途中に嵐に遭った時、お不動様が出現し、波を押さえて道をつけてくれたとのいわれがあります。

ちなみに元横綱の朝青龍は、ここのお寺の石段をトレーニングで登ったりしていたことでも有名です。

高知県、足摺岬の先端に建つ金剛福寺さま。前回よりもはるかに境内が整備され、立派になっていました。

足摺岬の灯台をバックに記念撮影!

足摺岬には中浜万次郎(ジョン万次郎)の銅像が建っています。後ろに少し見えるのが金剛福寺。
ちなみに、高知を代表するもうひとつの室戸岬には弘法大師空海、坂本龍馬、中岡慎太郎の銅像が建っています。

足摺岬から太平洋を望む・・・とても厳しく、しかも雄大で、大きなスケールが感じられます。
こういう光景を見ながら育つ土佐の人たちの中から偉人が出てくるのも分かる気がします。普段の自身の視点の狭さを肌身で感じる場所でした。

途中、お参りに来ていた介護施設の方々との出会いもありました。

今回の一番の難所になったのが、45番岩屋寺さま。
金剛杖と手すりに頼りながら30分ほど山を登ります。

上には断崖絶壁の岩肌の下に、本堂があります。
この辺一体で、様々な修験者が修行に明け暮れていたようです。お大師様も当然こちらに来て修行を重ねたのでしょう。

この45番が打ち終えると(霊場はお参りすることを「打つ」と言います)、あとは松山市内、今治まで平地に建つお寺様でしたので、特別な難所はありませんでした。おかげさまで予定の59番国分寺さままで打ち終えることができました。

今回は宿坊に泊まることはありませんでしたが、海沿いの宿、道後温泉など、四国を楽しみながら、時にはお土産買いを楽しみながらお参りができました。4泊5日の長い行程で、毎日お参りの連続だったので、私を除く参加された22名の方々はとてもお疲れになったことかと思います。

しかし、四国遍路の魅力は何なのでしょう。
弘法大師空海は何という偉人なのでしょう。土木、医療、書家、天文、教育などなど、その業績はまさしく「天才」としかいいようがありません。そして、1200年以上経っても多くの人々の心に生き続け、よりどころとなり、四国の経済や暮らしさえも助けている。その魅力はこの四国を巡礼してみると、本当に肌で感じます。言葉ではなかなか表現、説明ができません。地元を含む小さなお子さんから、ご老人まで、幅広い年代の人たちを惹きつける四国遍路・・・良いところだなぁ~と、凄いなぁ~の言葉しか出てきません。

私は今回で3回目の四国八十八カ所巡礼になりますが、改めて同行二人の魅力にほれぼれしております。
今回は途中、ほんの少しだけ小雨にあいましたが、他はお参りしやすいお天気にも恵まれ、大きな事故、怪我もなく、無事に2回目を成満することができました。

南無大師遍照金剛・・・ご本尊様、お大師様、有難うございました。

さてさて、帰ってきた翌日、6日の朝には蛍の生息環境を守ろうという有志4名で、千手院脇を流れる祓川上流部の草刈り作業を行いました。

昨年7月末の新潟・福島豪雨で山は崩れ、沢の流れも形状も大きく変化してしまいましたが、ちょうど蛍が卵からふ化し、1,2ミリ程度の幼虫が水の中で過ごす時期の大雨だったので、かなりの数が流されたと思いますが、今年は蛍たちがどの程度生き延びているか・・・。

6月末から7月上旬が飛翔時期になります。

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