穂。
今日はご法事がありました。
色々なことがありましたが、千手院の墓地に無事にお墓を建てられ、周囲も納得をしてくれて今日のご法事を迎えることができました。
現代は個々に信仰の自由がありますが、檀家制度ができた江戸時代には信仰の自由はありませんでした。
ですから、うちは代々真言宗だからとか、曹洞宗だからとか、というのは実は先祖が自分自身で選んだ宗派ではないことが多いのです。
江戸時代には強制的に、「あなたはここのお寺が菩提寺」といったように、全部幕府から決められてきたのです。だから、私は何宗が良いなどとは一切口にすることはできなかったのです。口にできるのはよほどの有力者に限られたようです。
もちろん、今はそんな事はなく自由に選べるのですが、そういう歴史は知っていた方が良いと思います。
魚沼コシヒカリも収穫が始まっています。魚野川には鮎のコロガシ釣りの人も大勢姿が見えました。
今日は午後から少し晴れ間も見えるお天気になりましたが、明日以降台風が接近しそうです。
私は稲穂の「穂」の字が大好きです。
稲穂は実をつければつけるほど頭を垂れます。実のある人ほど頭を垂れるのだと思っているので「穂」という字には特別惹かれてしまいます。
しかし、実をつけすぎると稲穂は倒れてしまいます。バランスのとれた頃が一番の収穫時期。倒れそうでいて倒れない姿からは学ぶことが多いです。
実をつけすぎてもいけない、頭を垂れすぎてもいけない、私は色んなことにかこつけて、お釈迦様の「中道」をお話しますが、この稲穂からも「中道」を感じてしまうんです。
何回かブログに書いたことがありますが、私の弟が東京のお友達に「ウチは秋になると田んぼが一面の黄金色になるんだよ・・・」と話していて、その友人達が「ウソだろー」と言っていた会話を思い出します。
弟の「黄金色」という表現にハッと気がつかされました。
私は当たり前に見ていて、何とも感じていなかったのですが、その感性の豊かさに驚きました。一番身近にある大切なものに気がつける人は、どんなに遠くに行っても、そこにある幸せに気がつけるのだろうなと思います。
毎年、この稲刈り時期になると思い出す出来事です。。。