内鎮守とは?

今日も日中は暑いくらいになりました。
今朝は早起きして浦佐城跡の登山道整備に行き、その後は浦佐毘沙門堂の春季例祭の大般若法要の助法に行きました。

今年は例年よりも大勢の参拝客だったように感じました。
毘沙門様から「般若の梵風」を頂戴された皆様方、きっと良いことがあると信じます。

浦佐城跡に祀られる薬師如来の祠前に五色の吹き流しを取り付けました。
駅前から見るとすぐに分かると思います。足が悪くて山頂までお参りできない方も、「あぁ、あそこが薬師様なんだ」と思っていただけたら幸いです。

これはウワミズザクラ。地元ではアンニンゴと言っています。住職の大好物の山菜でもあります。
あと1~2日で真っ白な花が咲きます。

これは木の芽。ミツバアケビの芽です。一般的には山椒の芽を「木の芽」と言うようですが、雪国ではこれを木の芽と言います。
木に巻き付いて棚を作ります。この山菜は処理が簡単!摘んだものをそのままおひたしにして、お好みでウズラの卵をのせたり、普通の卵をのせたり、マヨネーズに醤油などでいただいたりすることが多いようです。私の大好きな山菜でもあります。

逆光ですが、水の手のカタクリ群生地もどんどんと咲き始めています。

お寺前のツツジもあっという間に花開き、まぶしいくらいのピンク色で境内入り口を飾ってくれています。

さて、前置きが長くなりました。今日のタイトルは「内鎮守とは?」
先日、ある方が話を聞かせて欲しいと来寺されました。

内容は千手院が祀る白山権現像と山王権現像についてです。

千手院が白山様をお祀りしているということになれば、おかしな誤解を招いてしまう。今の白山神社はどうなるのか?白山様が2つあるのか?どういうことなのか?というような事が1点目です。

これは前にブログでも書かせていただきましたが、今、白山様は間違いなく白山神社に鎮座しておられます。
千手院で祀っている白山権現はあくまで「内鎮守」、つまり千手院の山内をお守りいただいている鎮守様です。浦佐の総鎮守は白山神社であることに何の変わりもありませんし、申すこともありません。

内鎮守という正式な言葉はありませんが、これは代々受け継がれてきた呼び方であります。

そして、千手院の山内をお守りいただいてきた主な内鎮守は、他に山王権現、諏訪様、薬師稲荷大明神、十二山大権現様がそれにあたります。
ですから、諏訪様の祭礼にも千手院が今でも「読経」をしてお祀りしております。

この山内を守る鎮守様というのは、たいていどこのお寺にも存在します。だからお寺のどこかに必ず鎮守壇や祠、幣束、お像など、何かしらの形があります。千手院の本山、奈良の長谷寺にもあります。鎮守壇や何かの形がないという方が珍しいと思います。

そこで、その方の質問の2点目。
明治に神仏分離というのがあり、神と仏は分けられているはずなのに、お寺の中に神様が祀られるというのはおかしいのではないか?

先に書いたことと重なりますが、奈良時代、平安時代から神仏は習合され、お寺の境内に神社が建てられたり、その逆もあったり、神宮寺というお寺も多く建てられました。何百年と神と仏はともに祀られ、地域の人々の心に生きてきたのです。

それが明治政府による神仏分離令によって、ある意味性急に分離が推し進められました。これには柳田国男先生方が反対をされたこともよく知られています。

ただし、やはり信仰というものはそう簡単に変わらない。

だから、今でも全国多くの寺院には山内に鎮守様が祀られていたり、そうでなくても本堂内に鎮守壇があったりするのです。
お寺の中に神様が祀られるというのは、ちっともおかしい話ではないと私は思います。

多くの一般住宅でも、仏壇があり、神棚を祀っておりませんか?

浦佐の方なら誰もが敬う毘沙門天もお寺に祀られていますが、七福神の神様の一人ともされていますよね。

それだけの懐の深い、長い文化、信仰の土台があるからこそ、私たちはお正月には神社をお参りし、若い人は教会で結婚式を挙げ、葬式は仏教で行うなどの一見矛盾しているようで、あらゆるものを受け入れる土壌ができたのではないかと感じます。

千手院の内鎮守というと、まるで千手院の下に白山権現があるかのように受け取られたのかも知れません。しかし、決してそうではありません。上下関係などないのです。真言宗の教えに則れば、千手院の本尊、千手観音様、白山様もあらゆる神仏はすべて大日如来が姿を変えて現れて下さっているという考え方です。

繰り返しますが、千手院の山内をお守りしてくださる神様のお一人が白山様であるということです。そのお姿として白山権現像があるわけですので、どうぞ誤解のないようにお願いしたいと思います。

こんな事をなぜブログで書くのか?

質問にこられた方は、このことについて、後日、白山様関係者の前で報告をするそうです。
こういう大切な事は、「又聞き」をしては本当はいけないと思います。

ですから住職は「あなたにお話をして、またあなたがそれを他人に伝えると必ず誤解がおきる。関係者をみんな連れてきて、そこでお話した方が良いよ」と言ったのですが、皆さんそれぞれにお忙しいですから、そうもいかない。

なので、ここに文字で記させていただきました。

一般の方にもできるだけ分かりやすいように書いたつもりですが、もし分かりにくかったらお許しください。

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