春木山

昭和の中ごろまで、3月12日の十二講をかわきりに、5月半ば頃まで薪等の燃料(魚沼ではボイといいます)を山から切り出す「ボイ出し」なる仕事がありました。ガスや電気が普及し始めてから一気に行われなくなりました。
浦佐では、私が生まれた昭和46年頃はまだボイ出しが行われていたそうです。

そんな春の山で働く光景を「春木山(はるきやま)」とも言います。

3月になると雪がぐっと締まり、雪の上をそれほど埋まらずに歩けるようになります。切った木(ボイ)も格段に運びやすくなります。
生活に直結していたので、多くの人が山に入り、手入れが行き届き、当時を知る人の話を聞くだけでも本当に山が活き活きとしていたことが分かります。

今でも浦佐では十二様を祀る家が多くあります。そして山中に十二様の祠がたくさん点在してもいます。
その当時をかろうじて知る人たちも高齢になり、今後、徐々に十二様の信仰が忘れられていくのではないかと心配しています。今は生活のために山に入る必要性がないのですから、登山ではなく、わざわざ木を切るために山に入る若者はほとんどいないでしょう。

しかし、日々心配事相談やご祈祷を続けていると、デジタルの世界も必要だが、私は昔のアナログの世界にとても惹かれ、癒されるんです。
悩み、迷っている人ほど、時に土をいじり、山に入り、火を使い、水に触れ、木々や草花を愛で、自然の中にゆっくりと身をおくと良いのではないかとつくづく感じます。

前置きが偉そうですいませんが、そんな訳で、生活がかかっている訳ではありませんが、今朝は早起きをして浦佐城跡下部で、雪で倒れる寸前になっていた木を切らせてもらいました。朝からチェーンソーの音で近くのお宅の方には申し訳ありません。今の山は放置された木の多くが50年ほども経っています。山が荒れれば川が荒れ、海も荒れる・・・。

私1人の力では限界がありますが、無理をせず、ゆっくりと、できる範囲で間伐を行っています。
山頂からの木を道路まで出すことは無理ですが、切った木も薪として、命が無駄にならないようにしたいと思っています。
雪解けの春木山。こんなアナログな時間がとても幸せなのです。

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