三十三回忌法要
人は死ぬと33年経って神になる・・・という神道の教えと仏教の年忌供養の教えが合わさり、全国的には三十三回忌法要をもって納めの年忌とか、最後の年忌供養としている地域が多い。中には五十回忌とか百回忌などが残っている地域もある。
三十三回忌ともなると、施主の中心は故人の孫の代になっていることが多い。そのお孫さんが表に立って取り仕切っているお宅というのは、その後も大いに繁栄していくように思う。
浦佐も10年ほど前までは、親戚縁者が大勢集まり、最後だということで賑やかな法要になることが多かったが、最近はごく近い親戚まで・・・もしくは家族だけで執り行うようになり、そして新型コロナウイルスの蔓延がさらに拍車をかけている。
今日はお檀家の三十三回忌法要があった。
故人のために、本当は相応に法要を上げたかったようであるが、そうもいかなかった。事情が事情、仕方がない。
最近の年忌法要は「何故私が呼ばれるの?」と、首をかしげる人が増えてきたように思う。「呼ばれると困る」なんていう風潮も多い。人と人とが直接会い、飲んだり食べたりしながら話をしていると、皆が不思議なご縁で繋がっていることに気づかされることがある。特に子供達にはその場に居合わせたい。しかし「来なくて良い」という親もいる。
日々、心配事相談をしていると感じることがある。子供の頃の情操が養われていると、大人になる過程で誰もがぶつかる挫折を必ず乗り越えることができる。
無形(心、マインド)が有形(現実)を作るのである。