毘沙門天と寅歳~急なご案内ですが~

奈良県と大阪府の境に立つ、信貴山・朝護孫子寺さま。

聖徳太子の祈願に対して、このお寺に日本で最初に毘沙門天が降り立ったと伝えられ、もちろんご本尊様は毘沙門天王。真言宗のお寺です。

それが「寅の年の寅の日の寅の刻」だった言い伝えられており、寅年には、さらに寅の日には大勢の参拝者で賑わいます。境内にもたくさんの寅の張り子や置物が見られます。

ここで訂正とお詫びをさせていただきますが、新年のお便りお寺通信で、この信貴山・朝護孫子寺さまの毘沙門様の縁起について「寅の年、寅の月、寅の日の寅の刻」とお伝えしましたが、信貴山の縁起によれば「寅の月」とは書いてありませんでした。私の確認不足で申し訳ございません。この場を借りて訂正とお詫びをさせていただきます。

そのような訳で、寅年と毘沙門様はとてもご縁が深いのです。

ただ寅は寅でも、今年は壬寅歳(みずのえのとら)です。十干と十二支の組み合わせで、60年に一回しか回ってこない・・・これが還暦の由来になります。

そして信貴山・朝護孫子寺さまの縁起にはでてきませんが、毎年2月が寅の月になります。寅は寅でも今年の2月は壬寅の月になります。60ヶ月に1しか回ってこない、つまり5年に1回の周期で回ってくるのです。

さらに明日、2月18日(金)は「壬寅の日」が回ってくるのです。

令和4年2月18日(金)は「壬寅の年、壬寅の月、壬寅の日」の滅多にない「壬寅」が全部揃う日となります。こんな日は毘沙門様の御利益、ご加護が一層高まるに違いありません。

ちなみに60年前の昭和37年の壬寅の年には上記の三並びはありませんでした。120年前の明治35年の壬寅の年も三並びはありませんでした。(そんなの調べて、お前、暇だなぁ~と笑われるかもしれませんね(^_^;))

ただ、私達日本人は明治の太陽暦の採用まで、何百年という間、この十干と十二支を使って暦を、時間を正確に計算して生活を送っていたのです。迷信のように思われるかも知れませんが、この十干と十二支は学べば学ぶほど、知れば知るほど奥が深いものだと思います。

ちなみに寅の刻は、午前3時~5時の間になります。浦佐の毘沙門堂は閉まっている時間だと思いますが、お参りできたらさぞ良いでしょう。毘沙門堂前の古山門には、毘沙門天とゆかりの深い聖徳太子様も祀ってあります。

大雪予報がでておりますが、明日2月18日、是非浦佐の毘沙門天をお参りください。

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