その人の風景
今日の墓地・・・まだ雪がありますが、例年よりはかなり少ないです。
一昨日、檀家さんのご葬儀がありました。
まだ風は冷たいものの、穏やかなお天気の中、お世話になった大勢の人達に見送られて旅立たれました。
ここのところずっと花粉症のような症状が続いており、声もでなく、ご葬儀に際しても故人に申し訳ないくらい、下手な読経しか上げられませんでした。体調管理ができておらず反省しきりです。浦佐ではコロナ前までは通常2人の僧侶で読経と作法を行っていましたが、コロナから僧侶は1人となった関係もあり、声がでなくなった時にはヘルプがなく、その点ではちょっと大変になりました。
読経が終わり、礼拝が終わって振り返ると故人に最後の花を手向けようと、ご近所の方々のお顔も拝見できました。お身内の方にはお通夜の際にいろいろとお話をさせていただいたので、ほんの御挨拶だけで退堂してしまいましたが、あとから思うと最後のお別れの前、お花を手向けに来た人達にもう少し何かできなかったかな???と・・・こちらも反省・・・。坊さんはあまり喋らないで、さっさと下がってもらった方がいいぞ・・・なんて言われそうですが。
皆さんは「人間の風景」なんて事を考えたことがあるでしょうか?
たまに女性誌などの占いなどのコーナーで、この人は「樹の人」とか「川の人」とか、そんな記事を見たことがありますが、暦など、日本の古くから伝えられている文化を勉強すると、その人の風景というのが出てきます。きちんと原理原則があり、それほど難しいものではないので、私などでも雑誌を見ていると「なるほどね~」と何を根拠にしているのかが分かります。
そんな習慣が身についてしまっているので、ご葬儀などでも、その方の生まれや家族構成、趣味や職歴、生き様などの他に「その人の風景」を必ず見るのです。それが御戒名などにも関わってきます。
山、川、雨、大木、ツル草、石、田んぼ、風、花、太陽・・・人それぞれ、みんな風景が違います。そこに季節や出逢い、友人、家族、仕事などで風景が変わってくるのです。
この度のご葬儀の方も、まさしく自分だけの風景を持っている人でした。
お彼岸にお参りに行くと、いつも帰りざまに静かな声で「方丈さん、これっ」と言って缶ビールをそっと渡してくれるのです。野の花のような女性でした。ビールも嬉しいですが(笑)なによりその気持ちが嬉しいのです。
私の経験上でしかありませんが、お参りしていると、大正~昭和最初生まれの世代の方々は皆さん同じようにしてくれるのです。何故かな~?って不思議に思っていました。若い頃はろくに食べるものがなかった時代に生まれ育ち、高度経済成長期を経験したとはいっても、若い頃に身についたものはそうそう変わることはないのが常であるのに、自分たちが貧しくとも、みんなに分け与える、分かち合うことを幼い時に親から教わっていたのだろうと思います。
その世代のお子さん達・・・団塊の世代の方達も、親の姿を見ていた人は同じようにしてくださりますが、数は少なく、その次、団塊ジュニア世代は、そのような事をしてくれる人は皆無です。
そうしてくださいとか、そうあるべきとか、そういうことを言うつもりではないのですが、これも時代の流れですかね。
千手院本堂前、穏やかな晴天のもと、今日は33回忌法要が本堂でありました。故人のお孫さんが立派に施主に立ち、小さいお子さんも連れてきてお参りをされていきました。こういう事ができる家族は、今後も大丈夫だろうと思います。天気が良く、せっかくの休日、今にも遊びに行きたいだろうに、きちんと手を合わせることができるのです。
八海山(右)、越後駒ヶ岳(左)、と~っても綺麗です。自分はどんな風景をしていると思いますか?