桜と三十三回忌

新潟市や上越市では桜が満開のようですが、千手院のしだれ桜は少しつぼみが膨らんだくらいです。境内にも雪が残り、気温があまり上がりません。

しかし、今日は春本番の陽気になりました。

まだこのくらいのつぼみです。

暖かくなると錦鯉達もよく分かるのですね、じっと固まっていたのがゆっくりと泳ぎ始めます。

さて、今日は三十三回忌法要がありました。

私が僧侶の道に入り、導師に連れられ初めて助法をさせていただいた葬儀、右も左も分からず、ただただ必死にお経をあげていた当時を思い出します。

それから33年が経ち、当時の住職がつけていた七條袈裟をつけ、葬儀と同じ仏具を荘厳し、三十三回忌のお勤めをさせていただいたご縁に言葉にならない感謝の気持ちが溢れました。

御戒名にふさわしい、春の優しい日和の中での法要・・・ご遺族の長年のご供養も大きな節目を迎えました。ご遺族にとっては今後も忘れることはできない、毎年毎年がご供養になることは間違いありませんが、素晴らしい法要でした。

前にもブログで書いたことがあるかも知れません。

親を見送った場合を考えましょう。

人は忘れる生き物、大切な親と別れ、1周忌、3回忌、7回忌くらいまでは記憶が詳細に残り、ご供養にも気持ちが強く入ります。13回忌、17回忌くらいになると悲しみの度合いが薄れ、だんだんと「事務的」になってきます。ハッキリ言えば少々面倒くさくなってくるのです。23回忌、25回忌(27回忌)くらいになると身体的にも精神的にも衰えが強くなり、自分では法要の段取りも難しくなってきます。

大きな節目となり、一般的には納めの年忌と言われる33回忌になると、実は故人のお孫さんが主体になるような時期を迎えます。

この頃に、「お爺さん、お婆さんにはお世話になった。親が段々とできなくなったから、自分も日々忙しいが他に誰もいないから何とかするしかない。」と、お孫さんが嫌々でも動いてくれたらお見事です。

そのようなご家族は、なんだかんだ浮き沈みがありながらも、ご子息は大丈夫だと思います。大丈夫というのは、心の心棒が立っており、人間的にダメにならないのです。

ただ残念なことに、「あなたの親でしょ!最後まで自分で責任を持って供養して。ご供養やお寺とのことは私には関係ないです。」そのような方がとても多くなってきました。

33回忌の法要にも歩くのがやっとになった高齢者が、なんとか親のご供養にと、精一杯の力を振り絞ってお勤めをしてくださるのです。

悲しいことですが、それが現状なのです。

しかし、あえて言わせていただくと、老僧の時から心配事や悩み事の相談を受けていると、やはり子孫が繁栄していくご家族、家というのはご供養を大切に考え、どんなに忙しくとも幼い子供達を参列させています。何も意味を理解していなくとも、「ご供養の、その場にいる」ということがとても大切なのだと思います。

今日の三十三回忌法要にも、若いお子さんが参列していました。御斎のときもスマホをいじっていましたが、もちろんそれでも良いのです。その場にいて、聞きたくもない話を聞いて、早く終わらないかな~と思っていていいのです。それが普通です。挫折をしない人は誰もいません。その時に、昔聞いた話や関わりが助け船になることがあるものです。

法要の場に連れてきた親御さんが立派です。

そして、私がどうこうでなくても、最後に皆さんが挨拶をして、お見送りに立ってくれました。今の若い世代では珍しい光景に「こういう事が何気なくできる○○家は、子孫が繁栄するに違いない」と感じました。

今、外をみると今晩は満月のようです。(正確には明日の午前中)

優しい春の日差しに、桜のつぼみが膨らみ、故人を供養する家族の温かさ、そして満月・・・

私の初めてご葬儀と三十三回忌法要のご縁・・・生涯忘れることはないと思います。

ちょっと長くなってしまいましたね。ご容赦ください。

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