薬師清水と浦佐の防空壕

大雨でお盆どころではなかった地域もありますが、少しでも早く生活が復旧できるようお祈り、お見舞申し上げます。

浦佐では例年通りにお盆を迎えることができ、昨日、一昨日と新盆を迎えるお宅と、毎年お盆にお参りに伺うお宅のお仏壇へとお参りにでかけてきました。

僧籍のある弟が毎年手伝ってくれ、新盆の檀家さんへは必ず住職がお参りに行き、他のお檀家さんへは住職と弟とできるだけ交互に伺うようにしております。ただ、新盆でも遠方のお檀家さんへは日程的に無理なため、13日の夕刻に本堂にてご供養をあげさせていただいております。

皆さんお気遣いをいただき、お部屋を涼しくしてくださっているのですが、着物を重ね着して外を歩いていくと身体の芯まで熱を帯び、お仏壇の前に正座してもなかなか汗が引かず、しかも読経で声を出すものですから、いつもご先祖様や檀家の皆さんには暑苦しく、見苦しい姿形を見せてしまいますが、どうぞご容赦ください。

長谷寺時代の師匠から、真夏でも「読経中、汗を止めろ」「汗をかくな」と何回も言われましたが(^_^;)、今でも師匠のようにはいきません。修行不足であります。

今日、ご先祖様に少し早めのお供えをし、午後からお見送りをして、本堂内、墓所のお盆飾りを片付けました。大きな事故もなく、無事にお盆を終えられてホッとしています。

前置きが長くなってしまいました。

墓地の遠景ですが、この赤色の矢印の箇所に天保時代に掘られた横穴があります。ここから薬師清水が引かれ、千手院の境内や、下って毘沙門堂山門前の茶屋などの飲料水に使用されてきました。(現在は千手院の所有地ではありません)

この横穴はかなりの大きさ、奥行きがあり、水源でしたから汚さないよう清潔に、大切にされてきたのですが、大東亜戦争時、致し方なく浦佐の防空壕として使用されました。

千手院先々代の賢能和尚様は生まれつき身体に障害があったため、戦争へは行きませんでしたが、その代わり空襲警報などがあった時には、浦佐に残っていた女性や子供達をこの防空壕へ避難させる責任者だったそうです。当時、どれほどの人数が避難したかは聞くことはできませんでした。

私も子供ながらに「探検」と称して中に入った記憶がありますが、危険だということで、いつ頃か忘れてしまいましたが鉄格子が入り口につけられ、入ることができなくなりました。

今では法面も年々崩れたりして、よ~く見ないと分かりませんが、秋から冬の葉っぱがない時期になるとまだ入り口が分かります。

こんな所に浦佐の防空壕があったなんて、今では知る人が随分少なくなりました。戦後80年ということで夏のお寺通信に書こうと思っていたのですが、うっかりしてしまいましたのでこのブログにて紹介をいたします。

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