よく分からない話で終わってしまった
週末、大切なお檀家さんのご法事がありました。
本当に、本当に思い出の尽きない故人でしたので、気持ちばかりが先行し、あとで振り返ると参列者は何を言っているか、よく分からなかったのではないかと思います。反省しきりです。
僧侶としての私の原点になった出来事のひとつです。晋山式の時の御挨拶にも述べさせていただきました。
奈良県桜井市、長谷寺での修行時代、大学卒業後まだ23歳の小僧として本山にて勉強していました。ある日の夕方、夕方の勤行のために同期の友人と一緒にお堂へ向かっていたところ、後ろの方から「若様~~!!!」と、女性の大きな声がしました。
「んっ?」と思い振り返ると、なんと浦佐のご詠歌講の数名の女性達がいるではありませんか。ちょうど西国三十三番観音霊場巡礼の途中、8番札所である長谷寺のお参りをしており、私が在籍していることを知っていたが、偶然見つけてくれたのです。
「頑張ってね」と応援をいただき、勤行の時間があったため山門までお見送りできず、その場で別れました。その後、友人が笑いながら言いました。「おい、おまえはいったい何様なんだ」と。
その時に初めて気がつき、恥ずかしさで顔が真っ赤になりました。
たかが23歳程度の若造を「さま」をつけて呼んでくださる。浦佐では当たり前のように聞いていたことに慣れてしまって、感覚が麻痺していたことが本当に恥ずかしかったのです。
この人達の期待に応えられるよう頑張らないといけないな、また千手院の歴代住職方の日常の行いと人柄が檀信徒の方から信頼を得てきたから「様」をつけて呼んでくれるのだな・・・と痛感したのです。
同期の仲間は全国から来ていて、それぞれ話を聞きましたが、私のように「様」をつけて呼んでくれるところはひとつもありませんでした。
この時の経験を私は一生忘れることはありません。あの時の光景は今でも明瞭に頭に浮かび、その時に声をかけてくれた一人が今回のご法事の女性でありました。
それを故人のお孫さんやひ孫さんに特に伝えたかったのですが、まだまだ修行不足です。日々勉強し、謙虚に、シンプルに、忍耐強く精進を続けていきたいと思います。

