困った話と有難いお話

千手院の庫裡も建て直して50年以上になりました。

今日はなんと、2階からの漏水で溜まった水で1階トイレの天井部分が抜け落ちてしまいました(T-T)それにしてもお檀家やお客様がいる時でなくて良かった~と思っていますが、お盆前の準備が色々ある中でどうしましょう(冷汗)

お昼頃、水がしたたっていたのを発見し、急いで出入りの業者さんにみてもらい水漏れ箇所を発見、補修してもらい、その後、水がしたたっていた天井部分を拭いていたら、かなり水が溜まっていたのでしょうね・・・バケツをひっくり返したかのように抜け落ちてずぶ濡れになってしまいました・・・困った話です・・・。

本題はここから。

8月1日に真言宗豊山派越後宗務支所のユーチューブの企画のひとつ、「住職のよもやま話」8月号をアップしました。

90歳をすぎた若月ご住職が子供のころ、戦争中にとても印象に残ったお話をしていただきました。特に中盤部分を聞いていて(皆さんに聞いてほしい部分でもあります)感じたことは、大切な家族を戦地に送り出した人達は、世間では本音を言うこともできず、そのやり場のないどうしようもない気持ちを、せめてはき出せる場所が「お寺」であり、仏さまの前だったのだということです。

これは全国各地のお寺で共通のことだったのだと思います。

高度経済成長期も重なりましたが、だからこそ戦後はその供養にと、お寺にたくさんの寄附、寄進、浄財が奉納され、それを見ていた子供の世代(今の70代くらい)の方々も、その様子を見て育っています。

戦争が終わり、食べるものもさほど困らなくなった現在、若い世代では「どうしもようもない気持ち」がなくなったかと言えば、決してそんなことはなく、悩みにも多面性があると思います。学校や仕事、人間関係、酒、男女、病気、老い、お金等々、様々なシーンで抱えなければいけない「どうしようもない気持ち」・・・それをはき出せる、せめて少しだけでも吐露できる場所が「お寺」であって欲しいと願い、千手院はそんなお寺でありたいと再確認させてくれた「住職のよもやま話」8月号でした。是非ご覧になってください!

平和時であっても、戦時中でも、いつの世でも人の欲や悩みは尽きないものですね。亡き老僧からもよく言われた言葉です。

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