• 冷たい雨

    しばらく気持ちの良い秋晴れが続いていましたが、今日は冷たい雨模様・・・日が沈むのも日に日に早くなってきました。

    お寺の方はすでにお正月準備が始まりました。紙を折り幣束や御札を作ったり、幣束に使用するヨシを切ったり、かなりの部分を手作業で進めるため相当に時間がかかります。印刷などに頼る箇所もありますが、できるだけ古来からの方法で準備をしたいと思っています。

    天気が良い日はすでに冬の雪囲い準備です。こちらも人手不足、経費削減のためにほぼ住職1人で行います。千手院だけでなく、こうもしないと田舎の山寺は護持していけないのが実情です。

    悲しい話ですが、県内(佐渡を除く)の豊山派寺院は約3分の1が正式な住職が不在です。それだけお寺を維持していけないのです。その数も年々増加しており、合併や合寺などをしていけなければ成り立たないだろうというのが私の本音ですが、やはり地域の歴史や伝統、様々なドラマがあり、法律上の問題もありますので、そう簡単に進む話ではないようです。

    けれど、何百年、千年以上の長い歴史の中で、なんだかんだで仏教やお寺は残ってきました。何かが根底にあるからでしょう。現代のケースもきっと打開していけるはずだと信じ、よく学び、よく考え、前向きに行動していきたいと思います

  • 彼岸明け

    秋のお彼岸が明けました。今日はご法事があり、午後からのお参りを終え、今年の秋彼岸明けとなりました。

    昨日の中秋の名月は残念ながら雲がかかり拝めませんでした(T-T)

    人間は面白いものですね。食べ物のことになると妙に覚えている場面が多い。

    今日のご法事のご先祖様もそうです。

    コロナ前まではお正月のご祈祷にご自宅まで伺うところが多々ありました。お昼休憩などなかった頃、お母さんが「方丈さん、ラーメンでも食べていって!」と作ってくれたラーメン・・・鮮明に覚えています。母の味なのでしょうか?不思議と忘れられないのです。

    そのお母さんのご法事・・・私にできる精一杯の念でご供養を上げさせていただきました。この世でご縁をいただいたことに心から感謝申し上げます。

    ふと、ある詩が目にとまりました。

    「葡萄は発酵し真紅の葡萄酒となる 真紅の葡萄酒は飲んだ人間の真紅の血液となる 大地の豊穣が人間の熱量となる」

    大地の豊穣に感謝して、ご恩に報いたいと思います。

  • 豊作

    シルバーウィークに入りましたね。ちょっと台風が心配ですが・・・

    ここのところ雨が続いていたので、稲刈りも思うように進んでいなかったようですが、昨日、今日のお天気でグッと作業がはかどったのではないかと思います。

    千手院も昔は田んぼがあったそうですが、私が生まれる頃には本堂の修繕費捻出のために売却したそうです。ですので、私自身は田んぼ仕事経験はほとんどありません。

    ただ地元にはたくさんの方々が田んぼや農業に携わっているので、お話を聞くと今年のコシヒカリの出来は良いそうです。日本人の主食はやっぱりお米だと思いますので、もうすぐ新米が食べられるかと思うと楽しみです。

    今のところ少ないなぁ~と思っていましたが、赤トンボも増えてきました。

    そして明日からは秋のお彼岸に入ります。

    千手院では1年に1回、お檀家様のお仏壇参りに伺います。(遠方の方は失礼させていただいております)

    春彼岸、お盆、秋彼岸に分けて伺っております。檀家様が少ない時代にはお盆の時に全檀家様をお参りしていたのですが、先々代の住職の頃、檀家様が増え、あまりに忙しなく、お参り後に少しも話ができる時間がとれないのは良くないだろう・・・ということで、春秋のお彼岸とお盆に分けてお参りに伺うシステムになりました。

    秋のお彼岸は稲刈りシーズンですので、昔は家族総出で稲刈り、ですから家の鍵もかけずに留守のところを上がらせてもらい、お参りをして帰る・・・なんて事もよくありました。

    今は稲刈りもみんな機械化となり、田んぼには人もチラホラ、みんな仕事がありますので家には鍵がかかり、前とはずいぶん様子が変わりましたが、どうかご先祖様を敬う気持ちだけは変わらずにいてほしいと思います。

  • 庶民感覚

    お世話になったお檀家さんがお亡くなりになりました。

    子供世代の私が導師というご縁をいただき、引導をお渡しし、ご供養を上げさせていただきました。

    私が千手院に戻ってまだ2年ほど、26歳か27歳の頃、その方のお宅にお彼岸のお参りに出かけました。お参りが終わり、お茶をいただいている時にかけられた言葉が記憶に残っています。

    「ベンツになんか乗っている坊さんにはなるなよ。そしたら俺は檀家を辞めるからな。」

    ハッキリと物を言ってくれる男性でした。そしてその言葉を聞いて、何も嫌な気持ちにはなりませんでした。かえって表裏なく、私のために言ってくれていると、うれしく感じたものでした。

    それは何もベンツに乗るのが悪いとかいう意味でなく、庶民の気持ちが分かる坊さんでいてくれよ・・・という、若い私へのエールだと思いました。

    私が反対の立場だったらどうだろうか?菩提寺の住職が超高級車に乗ってきて、ロレックスの腕時計などをしてお経を上げてもらったり、お釈迦様の話を聞いても、車や時計が趣味だとかなんだとか言われたとしても、なんか説得力ないよな~と感じたのを思い出します。

    「庶民感覚の大切さ」を教えてくれた男性でした。あまりに急な旅立ちでしたが、そのような人に出会い、教えていただいたことに心から感謝し、できる限りの気持ちと読経、作法をもって本尊様にお祈りをいたしました。年々、声が細り、一人だけだと以前のような葬儀ができませんが、どうぞお許しください。

    庶民感覚を忘れてはいないか?いつも自分に問いかけるようにしています。

    学校の授業料、アパートの賃料の引き落としなども、支払日前になると「通帳の残高をご確認ください」と連絡が入るのが普通になりました。それだけ支払いが滞る人が多いからなのでしょう。そんなにたくさん贅沢をしている訳ではないが、生活に窮する人も年々増えている印象があります。

    ご葬儀にもご法事にも費用をかけられない人も増えてきました。費用の心配がなくても「面倒だ」と思う人も増えてきました。ただ住職の目線で見ていると、子供や孫が立派に成長していく家、家族というのは、たしかに先祖供養や年中行事、伝統文化を大切にしています。面倒くさいとか、コスパが悪いとか、何の意味があるのだとか、メリットなどない、などという人は見かけません。

    強制はできませんが、そういうところにも「格差」が生まれているように感じます。

  • あの世にお金を持っていく方法

    季節の変わり目か、お葬式が続いております。

    夜になると秋の虫の大合唱・・・朝は涼しく少し肌寒いくらいで、徐々に起きるのが大変になってきました。

    今日は仏教の教えでも何でもありません。私の師匠から聞いた面白い?話のひとつです。

    若い頃、東京に葬儀に出かけました。斎場の中を歩いていたら他の参列者からのお話が聞こえてきました。

    「へぇ~、斎場にも特別室なんてあるんだね。あの世も金次第か~」と。

    田舎にはそんなところはありませんが、東京の斎場には特別室があるんです。

    葬儀からお寺に戻り、師匠とそんな話をしていた時に、あの世にお金なんて持っていけないのにね・・・とつぶやいた私に、こう言いました。

    「(笑いながら)あのな~、実はひとつだけあの世にお金を持っていく方法があるんだぞ」「えっ、どうやって?(私)」と聞くと、「自分の棺の中に、お札を入れて一緒に火葬しなさい。そうすれば持っていける。けれど、そんなことができる人はまずいない。」との話。

    学生時代からあわせて、お葬式に立ち会わせてもらいはじめ、今年で36年目になりますが、棺の中にお金を入れた人をたった1人だけ見たことがあります。

    祖母を見送る20代の若い女性でした。

    棺の中には三途の川を渡るための六文銭を入れてさしあげますが、「おばあちゃん、これ私の初任給。六文銭では足りないかもしれないから、これ持って行って。今まで本当にありがとうね。」と声をかけて、お札を棺に入れてあげました。

    その時、本当に感動しました。

    働き始めたばかりの、余裕がないであろう若い女性が、自分の大切なお金を何の迷いもなく入れてあげたのです。「自分の身銭は1円たりとも出したくない」そんな大人が多く、相続でも争ったり、いがみ合ったりすることが多い世の中で、このような立派な人もいるのだな・・・、これも亡きお祖母様の人徳、生き様だったのだろうなと勉強させられました。

    あの時の彼女はどのような人間に成長していることでしょう?

    お子さんもいるのかな?さぞ幸せな家庭を築いていることだろうと、今でもたまに思いだします。

    老僧にはお金のこと、生き金と死に金のことなど、面白い話をたくさん聞きました。それを現実に照らし合わせ、生活に落とし込んで見ていると「なるほどな~」と思うシーンがたくさんあります。また機会がありましたら綴りたいと思います。

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