うれしい届け物

今年1番の魚沼コシヒカリの新米が届きました!
お米一筋で、何十年というキャリアの持ち主、総代のSさんは毎年、1番に収穫されたコシヒカリをご本尊様に奉納して下さるのです。

「今年も無事に収穫できました」仏様や先祖、先人達への感謝の気持ちを忘れずに、そして想いだけではなく、それを行動にして下さるSさんには本当に頭が下がります。何もかもがあるのが当たり前のように考えがちな今の時代に、大切にしたい在り方です。

今年は魚沼コシヒカリに限らず、お米の相場が下がっているとの事ですが、厳しい経営事情に負けずに、この美味しいお米が後世に伝えられていく事を願っています。

「後世に伝えられていく」と言えば、今日はもう一つ素晴らしい届け物がありました。

総本山長谷寺第六十八世能化・平岡全教猊下の書が、数ヶ月の期間をかけて修復されて帰ってきました。
もともとの保存状態が大変悪く、相当劣化が進んでいたのですが、文化財を多く手がける、信頼できる職人さんにお願いして今日に至りました。

もともと額であったのですが、UVカットのアクリル、裏打ちなどに相当な気を遣いながら、新しい額装に仕上がりました。
あとはよほど保存状態が悪くならない限り、100年~150年後にしっかりと再修復ができると思います。

千手院先代の賢能和尚は若かりし時、この平岡全教猊下のもとで数年を過ごしました。
総本山長谷寺本堂のすぐ脇に、律院として有名な能満院というお寺があります。そこにお住まいになっていた平岡猊下のもとで、賢能和尚は長谷寺での修行を行っていました。

賢能和尚が平岡猊下について、よく思い出話をしていました。
小僧であった賢能和尚が、毎朝平岡猊下の布団を上げにお部屋まで行くのですが、365日、行くと必ず自分で布団は上げていて、本を開いていたそうです。

また、能満院は山の上になりますので、水が不足します。
山からしたたる水を集め、1滴、1滴と水を溜め、やっとの思いで飲み水と、数日に1度のお風呂に入れるのですが、平岡猊下は厳しく自分を律し、そして弟子達には本当に優しかったそうです。

賢能和尚は私に何も言いませんでしたが、おそらくこの書は、長谷寺時代にいただいてきたものだと推察できます。

私は今日も1日心配事相談とご祈祷で終わりました。
皆様からの有難い浄財は、ほとんどをこのような形で使わせていただいております。

千手院什物類は修復の過度期に入っております。把握している限り、全修復まであと15年ほどは間違いなくかかるでしょう。
しかし、これが私の授かった役目のひとつであると思っています。修復に関しては、安易な妥協をせずに取り組んでいく所存ですので、今後もご協力の程、宜しくお願い申し上げます。

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