Tさん、本当にありがとうございました。

ここ1週間はかなりドタバタ劇場でした・・・。簡単にまとめます。

8日、老僧、賢能僧正の命日でした。

9日、人間ドック。この日だけはゆっくりできました。なんと体重が高校生の時と同じになりました。食生活を気を付けているからでしょうか。

10日、心配事相談に御通夜。

11日、葬儀、終わって檀信徒14名で東京国際フォーラムへ『復幸』コンサートにでかけました。とっても素晴らしいコンサートでした。仏教青年会の皆さん、本当にお疲れ様でした。若い世代にしかできない心意気が良く伝わりましたし、必ず被災地にも届くと思います。最終新幹線で戻りました。

12日、早朝6時より、十二講のご祈祷がありました。

10日くらいから真冬に戻りました。
十二講とは、十二山大権現という山の神に、1年の山の安全を祈るものです。山の仕事をしていたり、狩猟などをする方は昔からこの十二山大権現を信心してきました。魚沼はもちろん、県内でも山沿いの地域では今でもお祀りしている人が大勢います。海沿いにはあまりないようです。

雪に穴をあけて祠を作り、御札、幣束、お供物を供え祈願を行います。
祈願のあとは、山から切ってきた木で作った弓矢を引き、ご覧のような的に向かって1本矢を放ちます。次に山の方に向かって1本放ちます。

今年は吹雪の中の十二講でしたが、この日を境にして春の山仕事が昔から始まりました。

12日夕刻から御通夜。

本日は、千手院の世話人を長くお勤め頂いたTさんの御葬儀でした。
四国八十八箇所霊場も2度結願しました。2回目は80才を超えてから、私も一緒にお遍路させていただきました。戦争を経験し、本当に信心の篤いお方でした。天気予報は今日も吹雪マークでしたが、不思議と穏やかな天候に恵まれ、夕方、お寺参りが終わる頃になるとまた雨が降り出しました。

南無大師遍照金剛・・・お大師様と同行二人。本当にお迎えに来て下さったと私は思っています。

そして今回初めて知ったお話がありました。
故人の親は腕の良い左官だったという事は聞いていましたが、浦佐の毘沙門堂が昭和6年に全焼した際、隣に建つ別行殿(秘仏の毘沙門天が祀ってある1番大切なお堂)に火がまわらないよう、味噌樽を持ち出し、必死で味噌を壁に塗り重ね、何とか焼失を免れることができたのだそうです。昔は門前に住んでいたのでいち早くかけつける事ができたそうです。

こういう話がとても大切なのです。また私は聞きたいのです。

他にも千手院はもちろん、浦佐毘沙門堂にまつわる大切なお話はたくさんあります。
こういう事は、何かしらの方法で、大切に語りついで、記録を残さなければいけない話だと、つくづく思います。

今日も故人の親族で県外にでられた方が、熱く語ってくれました。
故郷を思う気持ちが本当によく伝わり、うれしく思うと同時に、正式な後継者が不在の浦佐毘沙門堂を何とかできないものかと心底思います。

数日前までの暖かさでやっと初物のフキノトウに出会えました。

少し水につけて汚れを落とし、あとは簡単に刻んで自家製の味噌とあえるだけ。
このフキノトウ味噌とコシヒカリがあれば、私は1週間は平気です。

雪の下になったフキノトウはアクがなく、香り抜群、心も身体も春を感じさせてくれます。本当に幸せなひとときが迎えられます。
これも長い冬があったから感じられる豊かさです。

Tさんとのお別れ、フキノトウの春、何十年と大切に受け継いで下さった浦佐の伝統を、今後も大切にしていきたいと思います。感謝!!!

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