浦佐の御念仏

昨日から浦佐の盆灯籠を飾り付けました。
原型は高野山によるもの、浦佐出身の関栄覚大僧正などの影響もうけ、高野山では白い紙のみで飾られていますが、浦佐では細かい切子模様が入り、色も七色に増えて現在にいたります。住職が毎年新しく切って、張り替えます。(風雨時には取り外します)

私の知る範囲では、県内にこの型の盆灯籠が今でも残るのは浦佐だけです。

昨日、8月9日は浦佐の観音様の御縁日。
千手院となりの普光寺様では、毎年8月8日の宵晩や9日には人が大勢集まり、催しが行われていたそうです。

しかし、時代の流れもあり、今ではほとんどその面影はありません。
そして、浦佐で長く受け継がれてきた葬式当日の夕方、お寺に地域の人が集まって唱えられた「御念仏」も、ここ数年は全くなくなりました。

喪主の高齢化や若い世代の仕事環境など、致し方ないのかな・・・と思える部分もあるのですが、まったくなくしてしまうことに疑問を感じ、この8月9日の18時から年に1回の総供養の「御念仏」を申すことにいたしました。

千手院のお檀家さんに、おてら通信を通じて御案内させていただきました。
約30名ほどの人が集まり、本堂で御念仏を申しました。
千手院の檀家さんだけでなく、浦佐や、それぞれにご縁のあった方々の御霊が安らかならんことを願いました。どうかこの功徳が届きますように。

細くても、長く続けることに価値があると思います。
若いときには分からなくても、年を重ねて分かることもある・・・それで良いし、その時に古くから大切にされてきたものに触れられる、感じられる、そういう環境、場がお寺であって欲しいと思うのです。

話が前後しますが、浦佐の御念仏とは西国三十三番観音霊場のご詠歌に、浦佐独特の節をつけてお唱えするものです。

キリスト教やイスラム教でも聖地巡礼の旅があるように、日本でも聖地巡礼の旅があり、最も古い歴史をもつのが近畿地方一帯に広がる西国三十三番観音霊場なのです。
観音様を祀った各お寺には和歌が詠まれています。七五調のものを和讃、五七五七七のものをご詠歌と言います。
それに節をつけてお唱えし、実際には行けなくとも、皆で観音霊場を巡礼し、その功徳を故人に届けようとするもの・・・それが浦佐の御念仏であります。

お盆を前に、年に1度の総供養、浦佐の御念仏再開のお知らせとご報告でした。

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