葬式仏教

数日前、お檀家さんの葬儀が執り行われました。コロナが始まってから葬儀も今までの形式が随分と変化しました。変わったものはおそらく元には戻らないだろうと思っています。またそれで良いとも感じています。

しかし、仏教の教えに則り、また今までの浦佐の歴史、伝統を考慮して、僧侶として、千手院の住職として変えて良いものと、変えてはならないものを常に考えています。

この度のご葬儀は、お寺の都合で午後からの出棺になりましたが、午前までの涙雨があがり、ホコリがきれいに落とされた青い越後三山と残雪、爽やかな晴天のもとで、住み慣れたご自宅から、ご家族、大勢の友人、ご近所、地域の方々に見送られて「見事」なご葬儀だったと思います。なんだかんだと言っても、これが故人の生き様だったのでしょう。

お寺は随分前から葬式仏教と揶揄されておりますが、私は人生の最後を飾るご葬儀が仏教に則って行われていることに誇りを感じています。本尊様から引き導かれるよう(引導)、その人の、最後のお供をさせていただくのです。

葬儀屋さんが気を遣って、皆さんの前で「ご住職のお導きをもって・・・」を言ってくれますが、導いてくれるのは仏様、本尊様です。住職はその仲介役のようなものです。

最初や途中ももちろん大切です。ただ最後の集大成は一番大事。それが仏教なのです。これも多くの祖師、偉人方の功績なのですから、少しでも近づけるよう頑張りたいと思っています。

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