おいずる

あっという間の1月・・・明日で終わりです。

まだ新年のご祈祷が続いておりますが、毎年、浦佐門前区、本町、上町、五箇の地区は日を決め、皆さんがお寺に来てお日待のご祈祷を受けていきます。他の地区の方はご祈祷をした御札だけ受取にくるのですが、ご祈祷に来てくださった方々へお話したことを、自身の確認の意味も含めて振り返ってみたいと思います。

今年は弘法大師さまのご生誕1250年の記念の年になります。

真言宗には大きく18の宗派がありますが、すべての宗派でご生誕を祝うなにかの催しをしています。

千手院が所属する豊山派では、全国すべての支所や寺院が本山長谷寺へお参りする総登嶺(そうとうれい)というものが企画、開始されております。

この桐箱は千手院境内にあった桐の木で、職人さんに頼んで制作してもらったものですが、この中に明治28年前後の四国八十八箇所霊場と西国三十三番観音霊場の御朱印帳と、笈摺(おいずる)、回ったときの宿帳や納め札が保存されています。

今はありませんが、千手院の南東側に「大師庵」という庵があり、そこに尼さんがいらっしゃいました。名前は関ハルさんといいました。弘法大師信仰が篤く、ここ浦佐から歩いて四国遍路と西国巡礼をされてきたのです。しかも1回ではありません。御朱印帳をみれば最低3回はお参りしているのです。もの凄いことです。

明治28年ですから、途中まで一部鉄道が敷かれていたかと思いますが、それはほんの一部分で、当時にこれだけお参りできるのは信心だけでなく、財力、気力、あらゆる力が揃わないとできないことであります。お四国を歩いて回るだけで、男性でも2ヶ月はかかるし、関ハルさんは女性です。

浦佐に帰ってきてからは、大師庵にて弘法大師さまを祀っていたとのことです。

その弘法大師像と関ハルさんのご位牌、当時の古い写真が現在は千手院に安置されております。ですから、千手院には弘法大師像が2体いらっしゃるのです。

その有難い真っ赤になった笈摺と御朱印帳を、皆さんに直接手にとってもらいました。見ているのと、手に取るのとでは有り難みがまるで違います。

そして、弘法大師さまは現在でも高野山奥の院にいらっしゃる訳ですが、高野山と浦佐と関わりは深く、前に何度も書いていますが、高野山第393代座主、弘法大師さまの正式な後継者が、浦佐の皆さんが知っているお宅から出ているのです。

関栄覚大僧正さまといいますが、お亡くなりになり60年以上経つ今でも、浦佐出身、生家が千手院の檀家ということで、高野山でお住まいになっていたお寺から千手院にミカンが送られてきます。そのミカンを元旦の御年始と、お日待のご祈祷でお寺に来ていただいた方にお出ししております。

ピントが花にあっていなくてスミマセン(^_^;)

その関栄覚大僧正さまの直接の関係ではありませんが、千葉に住む子孫の方から毎年みちのく初桜が送られ、元旦、年始の間にお飾りさせていただいた後は、お日待祈祷に来られた方に見ていただくよう、本堂入り口廊下に飾っております。

そして前述の関ハルさんのご子息、東京にお住まいの方からのシクラメンを玄関先に飾らせていただきました。

お話をしないと分からないと思いますので、あえてご紹介させていただきました。

みんな、こうやって悠久の時の流れの中で繋がっており、この流れが今後も繋がっていくのだと思います。その流れを途切れさせないようにお寺も精進いたしますので、皆さん方も心新たに、良い年になりますよう、高野山からのミカンを召し上がってください。

弘法大師さまご生誕1250年です。高野山のミカンを食べて、関栄覚大僧正さまの桜、関ハルさんのシクラメンを見て、きっと良いご縁があることでしょう。

そんなお話を1月中はさせていただきました。「日三省」・・・関栄覚大僧正さまの書です。今年のお日待はきちんとお話ができたかどうか・・・振り返ってみました。

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