せめてもの救い

毎年、お正月はご祈祷などでスケジュールがキツキツになりますが、今年はまた特別でした。いつも言い訳がましいですが、今年は特に睡眠時間が削られました(^_^;)

本日、五箇地区の御日待・星祭祈祷が終わり、数日後には2月以降の予定が組め、心配事相談のスケジュールもアップできると思います。ご容赦ください。

千手院先代住職、賢昭和尚様の実家は石川県輪島市になります。実際の生まれは樺太です。戦後のソビエト連邦の侵攻により広大な牧草地にいた先代は石川県輪島市に戻りました。

その実家も、テレビに出てくるような「ぽつんと一軒家」の山奥で、車がやっと1台通れるような山道を登りたどり着くような場所で、今は無人です。

もちろん今回の地震で道路は寸断、どのような状況になっているか確認もできていませんが、おそらく倒壊しているでしょう。近くにあるお墓も倒れているでしょう。

先代住職が遷化されてからは連絡が遠のいていますが、親戚が輪島市と能登町にあります。命はつなぎとめたものの、家は倒壊、1軒はかろうじて建っているものの、今後住むことは不可能だそうです。

ただ、皆さんご存じでしょうか?石川県で最初に原発の計画があったのは震源に近い珠洲市です。先代住職の親戚はその反対運動の最前線にいました。当時、今でいう「有識者」は地震の確立は低い、地盤はしっかりしている、コストは安い・・・そう美辞麗句を並べ、珠洲市に原子力発電所を計画したのですが、住民の反対で計画は頓挫しました。

珠洲市に原発が建設されていたら、今頃どうなっていたでしょうか?

復興復旧???何もできていないでしょう。救助活動もできない、消火活動もできない、ボランティアにも向かえない、自衛隊も行けない、逃げることも出来ない、ないない尽くしで被爆・・・そして漁業、農業の壊滅、近県への影響・・・さらには隣国から賠償だ、損害だ、あることないことイチャモンをつけられ、どうしようもない状況に追い込まれたことでしょう。

「あの時、珠洲市に原発を建設しないで本当に良かった」それがせめてもの救いだと被災地の住民の声の中にあるようです。マスコミはそんなこと報道しませんけどね。

原発を再稼働したくて仕方ない東京電力、柏崎刈羽原子力発電所・・・皆さんどう思いますか?

東日本大震災以後、全国すべての家庭の電気代から強制的に徴収されている「再エネ賦課金」、いくらかご存じですか?それがどのように使われているかご存じですか?

珠洲市に原発が建設されていなくて本当に良かった!だから能登半島は復活、復興できます。能登の美味しい海産物を農作物買いましょう。歴史ある輪島塗のお品を買いましょう。原発がなかったおかげで能登は復活できるはずです。

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