セカンドネーム???

ここのところ毎日心配事相談、ご祈祷、空いた時間で境内の冬準備をしています。
今日の浦佐は快晴になり、朝は深い雲海が広がりました。木々の雪囲いを行い、墓地のゴミ箱や掲示板も片付けました。

明日から連休で、お墓参りの方々にはご不便をおかけしますが、冬準備も1日と待っていられないのが雪国の特徴でもあるので、どうぞご容赦下さい。

ところで、数日前に長年にわたり千手院のご本尊様を信心されている方がお見えになり、亡き老僧や祖母の事をお話しました。その時に戒名の話になりました。

「○○○○居士(信士・大姉・信女)」というのを、一般的に「戒名」と言っておりますが、実はこの文字の中で、正式な戒名と呼ばれる部分は「居士」という部分の前の2文字が「戒名」となります。最初の2文字、最後の居士(信士・大姉・信女)というは、あくまで付属の文字であります。

その「戒名」と呼ばれる2文字は、ごく簡単に言えば、「お坊さんの名前」であります。
葬儀式というは、ただお経を上げているのではなく、亡き御霊に対し「引導」を授ける「儀式」です。「引導」を授けることによって正式に仏門に入り、出家をし、そこで頂く僧侶として名前が「戒名」と呼ばれるものです。

私は18才までの名前を「雅晴(まさはる)」と言いました。「雅(みやび)に晴れよ」という意味でつけていただいた名前です。
それが、出家をすることで正式に仏門に入り、頂いた名前が今の「賢純(けんじゅん)」となります。
ですから、私の戒名は賢純となるのです。

それと全く同じ事を葬儀式では行っている訳です。

千手院では、葬儀の際にはそのことを必ずお話させていただいていますが、「そんな事は初めて聞いた」とおっしゃる方も多くいます。

ご先祖様がいらっしゃる方は、是非位牌をご覧になって下さい。そして、そのような意味のある名前だということを知っておいて欲しいのです。

ちなみに亡き老僧、先代の賢能(けんのう)和尚の俗名は「熊五郎」といいました。
思わず笑ってしまいそうな名前ですが、当時は強く育って欲しいと願い、「熊」「寅」「龍」などの文字が多く使われていました。

また、浦佐の普光寺の系列を受け継ぐ僧侶は、「賢」の字をいただく伝統が残っています。
歴史を振り返ると、特に江戸時代中期から明治まで、浦佐毘沙門堂別当普光寺のご住職方は、歴史に残る名僧が数多くいらっしゃいました。

その先達方が裸押し合い大祭を全国区に知らしめ、浦佐に暮らす人達の生活を支えました。
本当に凄いことだと思います。私も少しでも近づきたいものだと思います。

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