「節分」令和3年を振り返る
暦の世界では、節分が年の切り替わり、つまり大晦日、立春が新年の始まり、つまり元旦とされています。
実際の元旦には、お寺は御年始でゆっくりとしていられないので、私なりの令和3年を振り返ってみると、皆さんも同じかと思いますが、新型コロナに振り回された1年でありました。
仕事や生活全般において今まで通りにいかない日々となりました。
そして明日の立春を迎え、令和4年も昨年同様に新型コロナとはお付き合いしていかなくてはならないと思っています。
「お灯明もお花も、正式にお飾りする時には必ず仏さまを中心にして「対」にして飾るだろう。物事は対でできている。だから一方方向から見ていては決していけない・・・」先々代の老僧からよく言われました。
男に女、昼に夜、善と悪、本音と建て前、自分の身体も見てごらん、手足、眼や耳、みんな対であろう、入り口もあれば出口もあるだろう、だからこの世があればあの世があると先人達が考えたのは不思議じゃないんだぞ・・・そう言われて腑に落ちたことを良く覚えています。
ですから、コロナワクチンの安全性、有効性についても「対」で考える必要があると思いますが、マスコミやメディアは「どんどん打て打て」の一方通行であり、反対の意見を持つ医者、学者や専門家の情報、接種後の後遺症の事例やその後の状況などはほとんど報じないですよね。これはとても危険だと思います。
ユーチューブでは、専門家の人達がそのような情報をアップしても、すぐに削除されてしまうそうです。それって戦争時の情報操作、言論統制に似ていませんか?
「私はワクチンは打っておりません。」そう言うと皆が驚きます。住職で不特定多数の人と会う機会も多いし、打っておいたほうがいいんじゃないの・・・とアドバイスしてくださいます。
ワクチン接種しないというのは何を根拠にしているの?と聞かれたことがあります。
もうネットでもかなりでているので、知っている方も大勢いらっしゃいますが、大阪市立大学名誉教授の井上正康先生は、コロナ当初から警鐘を鳴らしています。
この先生のおっしゃることと、推進を勧める先生方のお話を聞くと、私には井上先生の言うことの方が腑に落ち、自分自身で納得ができるのです。
ダイレクト出版という出版社からは、メディアに取り上げられにくい情報がよくアップされてきます。そしてインターネットでも広告をよく見るようになりましたが、それだけ多くの人がアクセスしているからでしょう。
ワクチンを打つか打たないかは、個人の考え方が尊重されて良いと思いますが、私がこんな事を書くのは、小学生などにもどんどんとワクチン接種券が送られてくるので、未来ある大切な子供に接種するかどうかは、井上先生のような専門家の根拠に基づいたお話も聞いた上で決めて欲しいな・・・と願うからです。よろしかったら一度ご覧になってみると良いと思います。
今後もワクチン4回目、5回目などとキリなく続いていくでしょう。
「対」で考え、自身の中でしっかり咀嚼し、世論に流されないで、自身の意志で前へと歩んでいきたいものです。