お寺は高貴な存在?

「お寺は一般の人と違って高貴な存在なのでしょうか?」

先日、このような質問を受けました。
私は、「お寺は高貴な存在」だと思っています。ただし、一般の人と比べてとか、他との比較をしてということではありません。

先祖の冥福を祈り、現世を幸せに過ごせるように、また未来の子孫繁栄を願い、大勢の人々からの浄財で建立され、何百年と歴史を刻んできたのですから、お寺は「高貴」だと思います。

また、「敷居が高い」とも言われますが、程よい敷居の高さは必要だと思います。高すぎても困りますが、低すぎても価値が薄れると思います。

ただ、お寺と住職は別問題です。
確かにお寺は高貴だと思いますが、イコール住職が高貴だとは思いません。特に昭和に入ってからはお寺も世襲が普通になってきています。世襲はどうしてもどこか甘くなってしまいますよね。私もその一人なのですが・・・。
もちろん、中には高貴なご住職もたくさんいらっしゃることも事実です。

ご相談を受けていて、時には不動明王のように、厳しく言わなければいけない場面があります。最初の質問は、私が厳しく接した時に質問されたものです。

そして、厳しく接した時に返ってくる様子で、その人の今後が伺えることも事実です。千手院では星祭をすることで、年回りを観ることができますが、やはり大切なのは「心」です。どんなに年回りが良くても、心のあり方、考え方に歪みがあると年回りなどは無意味になります。

言った事が正しかったのか、そうでなかったのか・・・、いつも自身に問いかけながら対応していますが、厳しい事を言わなければいけなかった時・・・、不動明王の御前で座ります。高貴な住職を目指して!

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