お経を唱えてもらって良いことあるの?

今朝の毘沙門堂の長廊下・・・放射冷却で冷え込み、朝日が廊下に差し込んでいます。

例年だと朝日が差し込む隙間などないくらい、廊下の両脇は雪の壁になっているのですが、もう春のような光景です。せっかくの連休でスキー場も多くのスキーヤー、スノーボーダーで賑わうはずですが、ちょっと雪が少ないですね~。

今日は事前の予定がキャンセルになり、ゆっくりめに過ごせました。

『お寺のそもそも論』、令和3年に私達がまとめて、越後の檀家の皆さんに配布したものです。越後宗務支所のホームページから誰でもご覧になれます。その中でも少し触れているのですが、「(お坊さんに)お経を上げてもらって何か良いことあるのですか?」ということについて、少しお話したいと思います。

そう聞かれれば「良い事ありますよ」とお答えします。

弘法大師空海さまがそう仰っているからです。具体的にはお経をあげてもらうと「功徳が積まれる」と説いておられます。では功徳とは何ですか?と聞かれると「善い根っこ、善根(ぜんこん)」が張られるということです。

大きな大木、可憐なお花でも、見事に立つものたちは皆しっかりとした、健全な根を張っています。しっかりと根を張れなければ一見よく見えても、長続きしない、雨風にもろい、病気に弱い、そういうところには悪い菌が繁殖したり、斧などを持った人がくれば簡単に倒されるでしょう。短い間に腐ってしまう・・・。

そして善い根っこを張るためには、善い土壌が必要です。その大元になるもの、土壌こそを「宗教」というのです。しっかりとした土壌に、強く、善い根を太く、深くはっていくことで自分自身が確立して、そして花を咲かせ、実をつけ、落ちた種から新しい命が育つ・・・そこには受け継いだ善い土壌がすでのあるのです。

こういうことは、農家さんや林業、水産業、また土建屋さんなど、普段から自然を相手にしている人は感覚的に受け入れやすいかも知れません。私も使っていますが、オール電化などで生活していると、よほど意識しないと大切な感覚が麻痺します。

きれい事だな・・・と言われそうです。

ただ、これは私の経験上の話ですが、ご葬儀やご法事、特に心配事相談をしていると、「あぁ、こういう事かな」「このご縁はどこから来たのだろう」「何故だ???」と、良い事も悪い事も全部含めてそのように感じる場面が多々あります。

どうしてここで助け船が来るのだろう?そういう人には「善根」が張られていることがよくあります。根っこは地中に隠れていますから、外からは見えないし、世代をまたいでいる事もあります。お爺さんお婆さん、そいった世代から功徳、善根は受け継がれ、続いている。倒れそうになった時、その深く張った根っこが支えてくれて持ちこたえ、危機を脱出する・・・。そんな人のお話しを聞いていくと、3代~4代前までのどこかに必ずよく善根を積んだ人がいるものです。

ですから、その根を受け継いだ自分がさらに善根を太く、強くしていくためのひとつの手段が「お経を上げてもらうこと」だと思います。

先々代から相談事を引継、今年で26年目に入りました。今日、ちょっと振り返ってみたら昨年までの25年間でざっと4000件弱のご相談がありました。これは先々代の3分の1にも届きません。そして件数のことを言いたいのではなく、その中で善根を積む人と積まない人の差を身を以て感じたということをお伝えしたいのです。功徳(善根)は世代をまたぎますよ(^0^)

雪の重みでつぶされた下から、なにクソ~!!!といわんばかりにフキノトウが頭を出してきました。根っこがしっかりしていればこそです。

長文に最後までお付き合いいただいて有難うございました!!!

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