御年始とは

新年のご挨拶をする前に、令和6年能登半島地震において被災された皆様、心から御見舞申し上げます。千手院先代賢能和尚は輪島市に実家があります。私も幼い時から能登に連れて行ってもらい、たくさんの思い出ある地の状況を見て涙が出そうになります。

先ずは身の安全の確保。そして少しずつ、必ず復興に向かって歩き出しましょう。

あらためて、新年明けましておめでとうございます。本年につたないブログにお付き合いくださいますよう、宜しくお願い申し上げます。

地震が起きるまでは穏やかなお正月を迎えておりました。

毎年、御年始の間を作り、地域、檀信徒の皆様と新年のご挨拶を交わします。

千手院本堂をお参りし、ご本尊様の名代としての住職と挨拶を交わし、今年1年の「歳神様」をお迎えにくるのが御年始です。来られた檀信徒はご先祖様にも手を合わせ、1年の安全を祈りますが、お正月の御年始で一番肝心なのは歳神様をご自宅までお連れすることです。迎えに来なければ、歳神様はご自宅には行かないのです。

神々はお寺にも神社にもおわします。ですから、浦佐の昔からの伝統を大切にしている方々は、千手院の他にも普光寺様、白山神社の宮司様のもとに御年始に訪れて「歳神様」をお迎えに来るのです。もちろん、「私は千手院の檀家だから、千手院だけのお参り、お迎えでいい」という方はそれで良いのです。なにも間違ってはいないし、それはそれで尊いものであります。

この歳神様をお迎えするというのが、お年玉の由来にもなります。

ですから御年始の意味が分かっていないと、「なんでこんな面倒なことするの?」「せっかくのお正月、家でゆっくり過ごしたいのに・・・」「遊びに行きたいのに・・・」「御年始(御布施)を持って行って何か良いことあるの?」となるのです。お寺での御年始は人が忙しく入れ代わりするので、なおさらそう思うことでしょう。

ちょっとバタバタするかも知れないけれど、今年の私達家族をお守りくださる歳神様をお迎えに出かけよう。ご先祖様にも御挨拶しよう。御年始の意味を知り、そのマインドでお参りするとしないとでは、随分違いが出ることでしょう。

そして歳神様をお迎えに来てくださった方には、1月4日、5日、寺年始でお寺の方から、さらに歳神様とは違う神様をお宅へお連れするのです。それが寺年始です。「ものもう!千手院年頭!」と言って御札を持って神様をお連れします。

お迎えしなければ、歳神様は来られません。何でもそうです。出すことが先なのです。呼吸とは息を吐かなければ吸い込めない、出入り口、先ずは出口が先なのです。お賽銭、お願いするときは先ず出すのです。ですから、自分が学びたいと思った時には、自分の意見を発信しないといけません。黙っていたら何も得られません。

ささいな事かも知れませんが、こういう伝統を大切にしている人と、していない人、長い間に差が出てくるな~と感じることが多々あります。だからこそ「大切にした方が良いですよ」と言いたいのです。あくまでご本人の自由ですから余計なことかも知れませんが、見事な最後を全うされる人ほど、そういう意識が高いと思います。表面では計れません。心からそう思って行動しているかです。

ちょっと長くなってしまいました。

いつもエラそうなことばかり綴っていますが、たまにブログに遊びに来てあげてください。本年も宜しくお願い申し上げます。

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