同信

千手院のご詠歌講も正式に発足して37年を迎えました。準備段階からすれば40年近くになります。

当初から尽力してくださった方がお亡くなりになりました。失礼な言葉かも知れませんが、本当に見事な最後だったと思います。

前にも書いたことがあるかと思います。また私の晋山式の時にも挨拶に入れましたが、平成4年か5年のころ、本山の長谷寺にいた私が仲間と一緒に夕勤行に向かって歩いていると、後ろの方から「若さま~!!!」と大きな女性の声がして振り向くとビックリ、その方が浦佐の仲間数人といるではありませんか。

ちょうど西国三十三番観音霊場を回っていて、長谷寺は八番札所ですから、お参りに来た際にたまたま私を見つけたのです。

越後からお参りがあるときには、たいてい「今日は越後の○○というところから参拝があります」と連絡があるのですが、その時には連絡もなく、本当にたまたまだったのです。

勤行があるため、少しだけお話をして別れましたが、その後、仲間から「おまえはいったい何さまだ(笑)」と笑われてしまいました。仲間のお寺では「様」などと言ってもらえないのだそうです。

けれどその時にハッと気づかされました。私のような20代の若僧に「様」をつけてくれるのです。若様、お寺様、方丈様、千手院様・・・様と・・・。

期待をしてくださっているのだな・・・応えられるように頑張らないといけないな・・・と、しみじみ感じたのを昨日のことのように思い出します。

あそこのくそ坊主め・・・などと言われないように、今でも自分に言い聞かせています。

そして千手院に帰山してからも、ご詠歌を通じて全国各地へご一緒しました。本当に楽しく、勉強になることがたくさんありました。

お子さん、お孫さん、ひ孫さんまで、末広がりに家が栄え、家族に看取られ、地域の高校生を面倒見たり、その高校生が世界で活躍する人材に成長し、数え切れない人が出棺にお見送りをくださり、葬儀当日の朝は今年1番の雲海が浦佐に広がり、葬儀までの数日に越後三山の初雪を見て、上弦の月が見事に現れ、快晴の中、ご詠歌に見送られて旅立ちました。

葬儀翌日、業者の方達の外の後片付けがしっかり終わると、冷たい秋雨が降り始め、まるで外仕事がある人にまで気遣ってくれているようでした。

人は最後を選べないのです。この与えられた「縁」は故人の生き様そのものです。「縁起」、縁があって物事は起きる・・・「因果」、原因があって結果が生じる・・・本当に素晴らしい旅立ちでした。

私は最後をどのように迎えることができるだろうか?見習うべき人がたくさんいます。

最後はごまかせないよ・・・自分に言い聞かせます。同信・・・有難いご縁でした。

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